熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(後半)

私のふるさとは熊本市である。そして、本エントリは、熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(前半) - ngzmのブログ の続きであり、主にライフライや人々の暮らしについて震災発生後から日を追って記録する。

地震発生直後〜3日目の様子(私自身の体験ではなく親戚の体験談をもとに記録)

地震直後は、とにかく身の安全を確保すべし。家の中は、家具が倒れガラスが散乱している。震度4を越える余震が断続的に襲ってくるため、最悪の場合、倒壊の危険がある。このため、近くの学校(避難所)に身を寄せ夜は車の中で過ごした。

翌日は、水や食物が入手困難な状況であることに気づく。避難所では、水や食物の配給が開始されたが、すぐさま長い行列ができ、並んでも全員に行き渡足ることはなかった。じゃんけんでパンをもらえる人を決める時もあった。結局、震災後2日間ほどは、1日にパン一つだけ我慢した。トイレは、避難所のトイレを利用させてもらうが、だんだんと不衛生になるため、水分の摂取を我慢する人もいた。

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交通は、熊本空港が閉鎖、新幹線を始めする鉄道の運休、高速道路の閉鎖、そして一般道もあちこちで通行止めの状態である。コンビニなどの店舗は営業していないので物資を購入することは困難である。

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さらに、この時期は、遠方から物資の宅配便を頼もうとしても、被災地への配達は宅配業者が受け付けてくれない。私は震災翌日にAmazonで水や生活用品を神奈川から実家の熊本に送ったが、結局これらが届いたのは早くて一週間すぎてから、水など食料品が配送されたのは、2週間後であった。つまり、少なくとも震災後1週間は何も調達できない状態が続くのである。

自宅は、家具や家財が散乱している、水も電気もガスも止まったままであるため、帰るにかえれない。

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なお、後々、罹災証明の申請や、地震家財保険の手続きのため、家や家財が損傷した様子を写真に収めておく必要がある。繰り返すが、片付けや補修工事を行う前に、必ず、写真を撮っておくことが重要だ。

4日目〜一週間の様子(この節も私自身の体験ではなく親戚の体験談をもとに記載)

熊本市の実家では、電気が回復した、続いて、水道が出るようになったが水に濁りがあり飲料には適さない、また、計画的な時間断水が発生した。一方でガスの復旧にはもう少し時間がかかるようだ。

親戚宅では震災後3日を避難所で過ごした後、自宅に戻ることにした。これ以上、避難所にいるより我が家の方が良いという判断だった。このように、しばらく避難所に行き、車の中で寝泊りしていた人々も、徐々に自宅での生活に戻っていった。一方、帰宅したくでもできない、この先どれくらい避難所生活が続くのかわからない人々も大勢いた。

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水や食物については、人ころの不足が解消され、被災者全体に行き渡るようになった。また、コンビニが営業を再開し始めるが、24時間営業ではなく、朝7時頃オープンし夕方16時か17時くらいには閉まってしまう。

このころ交通は、熊本空港が一部利用可能となり空路による現地入りが可能に、鉄道は新幹線以外であれば福岡や鹿児島へ行き来できるようになる。一方、高速道路は閉鎖されたままであるため、下の道が渋滞した、また給油可能なガソリンスタンドの付近では、ガソリンを求める人々で長い列が続いた。

自衛隊を始めとする支援部隊が続々と現地入りしたのもこの頃。これは本当にありがたい。

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一週間経った頃の様子

私が実際に現地に行ったのは、ちょうどこの頃である。時折、何の前触れもなく突如として激しい地震が襲ってくる。本当に急に揺れ始めるので身構える暇もない。

このような状況のなか、未だに多くの人々が避難所で生活している。写真は、夜9時頃の近所の小学校の校舎。自宅の損壊などで、帰るに帰れない人々がここにいる。この小学校は体育館が損傷したため、避難所として教室を開放していた。

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実家の方は、電気は復旧、水は随分と綺麗になったが、やはり濁りがあるため、飲料には適さない。ガスはまだ復旧していない。このため震災後一週間ずっと風呂に入れない。ちょうどこの頃、幾つかの温泉施設や銭湯が営業を再開し、被災者向けに無料開放を行う施設もあったが、人々が殺到し予約制となっていた。親戚に聞くと、朝予約して夕方に順番が回ってくると言っていた。

ガスの復旧では、実家の地区では、大阪ガスの人が沢山支援に来ており、連日復旧工事を行っていた。このような多くの支援の結果、地震後10日後にはガスが復旧できた。

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新幹線や高速道路は未だ開通していないため、一般道の渋滞が深刻なものとなっていた。

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一方、熊本のシンボル市電は動き始めた。

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そろそろ洗濯もしないといけない、幸い、近所のコインランドリーが空いていた。

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震災後一週間を過ぎると、コンビニやスーパ、百貨店、弁当店、飲食店などが次々に営業を再開し、水や生活物資が普通に購入できるようになった。久しぶりに実家近所のお気に入りの焼き鳥屋でいつもどおり飲み食いできたのが嬉しかった。

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以前と変わらない店内で焼酎をいただいた。必ず復興できる感じがした。