熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(前半)

熊本地震について

2016年4月14日21時26分に最初の地震が発生、熊本県益城町では震度7を記録し壊滅的なダメージを受けた。次に、4月16日午前1時過ぎ、熊本地方を中心に2回目の大地震が発生した。そして、現在もなお1000回を超える余震が続いている。そして、多くの人々が、近くの避難所に避難したり、車中泊を余儀なくされた。

私のふるさとは熊本市である。現在は神奈川県に住んでいるが、母親や親戚は熊本市に居る。幸い大きな怪我などはなかったのであるが、精神的なダメージを受けており、実家や親戚の家は大きく損傷してしまった。

とにかく親や親戚の様子や、実家の損壊などが気になって居ても立っても居られないので、地震からおおよそ一週間後に熊本へ行くことにした。

熊本へ

熊本へは飛行機で行く。熊本便は数日前から開通していたが、一部の便は欠航しているようだ。飛行機はガラガラだった。無理もない。同じ便に自衛隊の人たちが40~50人ほど搭乗してきたのを見て「そうか被災地へ行くのか」と改めて認識した。そろそろ着陸体制になるという時、機内アナウンスが次のように流れた。「熊本空港では、利用できる洗面所に制限がございます。できるだけ機内でお済ませくださいますようご協力下さい」

熊本空港についた。空港ビルの損傷があり、おおよそ施設の半分は立ち入り禁止になっていた。そして、機内アナウンス通りにトイレの利用は制限されていた。

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熊本空港から熊本市内へ

空港から実家へはレンタカーを借りることができた。レンタカー屋さんは1回目に大変な被害があった益城町にあった。実は、熊本空港自体が益城町にあるので、空港そばのレンタカー屋は益城町であることが多いのである。空港でトイレを利用できなかったので、レンタカー屋のトイレを使用しようとしたら、係の人が「少しお待ちください」と言い、近所からバケツに水を汲みトイレのタンクに注いでくれた。思わず「すいません水が出ないのですね」というと「このあたりはまだ断水していますから。。」と申し訳なさそうに返答された。

熊本空港から実家のある熊本市へ向かう途中、たくさんの自衛隊車両とすれ違った。このほか、水道・ガス・電気会社をはじめ、数多くの復興支援車両を何度も目撃した。このようなときは県外からの支援が本当に心強い。支援をいただいた皆さんには心よりに感謝したい。

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実家の様子

実家につくと、叔母が待っていた。実家のほとんどの部屋は、写真のような有様であった。

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実家は、外壁がはがれて歩行者が怪我をする恐れがあったので、大至急修繕を行う必要があることがわかった。家財など散乱しているが、まずは最優先に対処すべきところから着手するしかないようだ。幸い、近所の方が知り合いの工事業者を紹介していただいたので、さっそくお願いする。室内については、とりあえず寝るに必要な場所だけを整理することとし、今後時間をかけて片付けや修繕をしていくこととする。

近所の様子

実家から歩いて数分のところに、水前寺公園があるので様子を見に行くと、その参道にある鳥居が落ちていた。

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水前寺公園入口の灯篭なども倒壊していた。そして、子供のころからの遊び場であった公園の中には入ることができなかった。

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水前寺公園のそばには、明治時代に日本初の共学の学校を作ったジェーンズさんという外国人先生の家、いわゆる「ジェーンズ邸」という文化財があったのだが、そこは、見るも無残に全壊していたので、大きくショックをうけてしまった。もともとのジェーンズ邸はこんなんかんじ

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なお、ジェーンズ邸にあったトイレだけは無事だった。大地震の時はトイレに逃げろというのは本当のようだ。

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水前寺公園から江津湖という湖に注ぐ「藻器堀川」の様子。その川の流れは、震災後も相変わらず綺麗であった。子供のころに親しんだ川の流れがそこにあった。ほんの少しだけ安心することができた。

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続きは後半。 主に、ライフラインや生活の様子について実際に見たり聞いたりしたことを記録する。