熊本地震から2週間くらいして、再び熊本に行ったこと

熊本地震から2週間をすぎたころに、再び熊本に行ったので、私の実家や街の様子などを書く。

震災後2週間を過ぎて・・街の様子

再び熊本に到着した。熊本空港から熊本市内に向かう車中から、街の様子を眺めていたが、前回(一週間前)来た時よりも、落ち着いているような印象を受けた。つまり、前回は町全体がワサワサしていおりパニック気味であったが、今回そういう張り詰めた空気は随分少なくなったように見えた。

一方で、いまだに街のいたるところで震災の爪痕が残っている。親戚の家は、半壊で住むことができなくなっていた。

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近所の公園は、地割れで立ち入りが規制されたりしていた。

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自衛隊や県外ナンバーの警察や自治体、電機会社、ガス会社、水道会社などの災害支援車両もまだまだ沢山走っている。この方々の大きな支援もあって、この時期に、新幹線と高速道路が開通し、交通インフラがおおよそ正常化した。素晴らしい。

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道沿いには、あちこちに震災で壊れた家具や、生活で排出されたものがゴミの山として積まれていた。ゴミ処理が追いついていない。この問題は、この後しばらく続きそうだが、実家の地区では、この時期に、自衛隊がやってきて一斉に持って行ってくれたそうだ。こういう話を聞くとなんだかんだで自衛隊がいちばん頼りになると思ってしまう。

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実家の様子

数日前に、震災による建物被害の調査が来たとのこと。実家は外壁の損傷が激しかったので、自治体の調査で、危険を示す「赤紙」が貼られてしまっていた。そんなに壊れていたのか・・と愕然とするものの、構造自体は問題ないとのことなので修理すれば住み続けることが可能だそうだ。

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実家のように家が損傷してしまった場合は、罹災証明の申請、地震保険の申請、家財保険の申請などの手続きを速やかに行う必要がある。なんにしても高額な費用がかかるため、これらの手続きにより少しでも自己負担を軽減しないとやっていけない。なお、これらの申請には、被害状況を示す写真を添付する必要があるため、修繕や清掃を行う前に、必ず被害状況が分かる写真を撮っておくことが重要である。

家の修繕工事には、信頼の置ける業者を探すことが重要だ。悲しいかな、災害に乗じた詐欺や泥棒が実際にいるので、これらの被害に遭わないように十分注意する必要がある。

いずれにせよ、修理が必要なので、震災直後より、修理をしてくれる業者を探していたのであるが、幸い、近所の方よりすぐに対応していただける施工会社をご紹介いただいた。早速、補修の打ち合わせを行う。

さらに、自分たちでできること、例えば、瓦や壁の応急処置したりとか、倒れた家具を直したりとか、散乱した家財の清掃をしたりとかは、自分たちで解決していくことも必要である。慣れない作業で怪我しないように、しっかりとした運動靴や、軍手、マスクなどが必需品となる。やはり、いざという時に備えて普段から準備しておくことが重要だ。

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家財の整理整頓などの作業では、全国から来ていただいたボランティアに来ていただければ大変助かるのであるが、実家の場合は、ボランティアセンタに何度電話しても電話が通じなかった。どうも、ボランティアセンタ自体がオーバーフロー状態であり、うまくさばけていないようである。こういった課題は、私たちシステムエンジニアが解決できるところであると思うので、今回の課題を踏まえて何かできるのではないかと考える。

その他もろもろ

熊本市内は、ひところに比べると随分と落ち着きを取り戻しているように見える一方で、いろんな人と交流する中で、精神的な傷のようなものは、依然として残っているような気がした。余震も以前よりは少なくなったようであるが、時折揺れると本当に恐ろしい、人々の中でトラウマのようになっている。

実家のそばにある江津湖という湖に来てみた。そこにはとても綺麗な水が流れていた。以前と変わらない光景を見ることができて嬉しかった。私たちは、こういった光景を守っていかなければならない。

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熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(後半)

私のふるさとは熊本市である。そして、本エントリは、熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(前半) - ngzmのブログ の続きであり、主にライフライや人々の暮らしについて震災発生後から日を追って記録する。

地震発生直後〜3日目の様子(私自身の体験ではなく親戚の体験談をもとに記録)

地震直後は、とにかく身の安全を確保すべし。家の中は、家具が倒れガラスが散乱している。震度4を越える余震が断続的に襲ってくるため、最悪の場合、倒壊の危険がある。このため、近くの学校(避難所)に身を寄せ夜は車の中で過ごした。

翌日は、水や食物が入手困難な状況であることに気づく。避難所では、水や食物の配給が開始されたが、すぐさま長い行列ができ、並んでも全員に行き渡足ることはなかった。じゃんけんでパンをもらえる人を決める時もあった。結局、震災後2日間ほどは、1日にパン一つだけ我慢した。トイレは、避難所のトイレを利用させてもらうが、だんだんと不衛生になるため、水分の摂取を我慢する人もいた。

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交通は、熊本空港が閉鎖、新幹線を始めする鉄道の運休、高速道路の閉鎖、そして一般道もあちこちで通行止めの状態である。コンビニなどの店舗は営業していないので物資を購入することは困難である。

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さらに、この時期は、遠方から物資の宅配便を頼もうとしても、被災地への配達は宅配業者が受け付けてくれない。私は震災翌日にAmazonで水や生活用品を神奈川から実家の熊本に送ったが、結局これらが届いたのは早くて一週間すぎてから、水など食料品が配送されたのは、2週間後であった。つまり、少なくとも震災後1週間は何も調達できない状態が続くのである。

自宅は、家具や家財が散乱している、水も電気もガスも止まったままであるため、帰るにかえれない。

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なお、後々、罹災証明の申請や、地震家財保険の手続きのため、家や家財が損傷した様子を写真に収めておく必要がある。繰り返すが、片付けや補修工事を行う前に、必ず、写真を撮っておくことが重要だ。

4日目〜一週間の様子(この節も私自身の体験ではなく親戚の体験談をもとに記載)

熊本市の実家では、電気が回復した、続いて、水道が出るようになったが水に濁りがあり飲料には適さない、また、計画的な時間断水が発生した。一方でガスの復旧にはもう少し時間がかかるようだ。

親戚宅では震災後3日を避難所で過ごした後、自宅に戻ることにした。これ以上、避難所にいるより我が家の方が良いという判断だった。このように、しばらく避難所に行き、車の中で寝泊りしていた人々も、徐々に自宅での生活に戻っていった。一方、帰宅したくでもできない、この先どれくらい避難所生活が続くのかわからない人々も大勢いた。

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水や食物については、人ころの不足が解消され、被災者全体に行き渡るようになった。また、コンビニが営業を再開し始めるが、24時間営業ではなく、朝7時頃オープンし夕方16時か17時くらいには閉まってしまう。

このころ交通は、熊本空港が一部利用可能となり空路による現地入りが可能に、鉄道は新幹線以外であれば福岡や鹿児島へ行き来できるようになる。一方、高速道路は閉鎖されたままであるため、下の道が渋滞した、また給油可能なガソリンスタンドの付近では、ガソリンを求める人々で長い列が続いた。

自衛隊を始めとする支援部隊が続々と現地入りしたのもこの頃。これは本当にありがたい。

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一週間経った頃の様子

私が実際に現地に行ったのは、ちょうどこの頃である。時折、何の前触れもなく突如として激しい地震が襲ってくる。本当に急に揺れ始めるので身構える暇もない。

このような状況のなか、未だに多くの人々が避難所で生活している。写真は、夜9時頃の近所の小学校の校舎。自宅の損壊などで、帰るに帰れない人々がここにいる。この小学校は体育館が損傷したため、避難所として教室を開放していた。

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実家の方は、電気は復旧、水は随分と綺麗になったが、やはり濁りがあるため、飲料には適さない。ガスはまだ復旧していない。このため震災後一週間ずっと風呂に入れない。ちょうどこの頃、幾つかの温泉施設や銭湯が営業を再開し、被災者向けに無料開放を行う施設もあったが、人々が殺到し予約制となっていた。親戚に聞くと、朝予約して夕方に順番が回ってくると言っていた。

ガスの復旧では、実家の地区では、大阪ガスの人が沢山支援に来ており、連日復旧工事を行っていた。このような多くの支援の結果、地震後10日後にはガスが復旧できた。

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新幹線や高速道路は未だ開通していないため、一般道の渋滞が深刻なものとなっていた。

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一方、熊本のシンボル市電は動き始めた。

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そろそろ洗濯もしないといけない、幸い、近所のコインランドリーが空いていた。

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震災後一週間を過ぎると、コンビニやスーパ、百貨店、弁当店、飲食店などが次々に営業を再開し、水や生活物資が普通に購入できるようになった。久しぶりに実家近所のお気に入りの焼き鳥屋でいつもどおり飲み食いできたのが嬉しかった。

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以前と変わらない店内で焼酎をいただいた。必ず復興できる感じがした。

熊本地震から一週間後、熊本の実家に行って見てきたことなど(前半)

熊本地震について

2016年4月14日21時26分に最初の地震が発生、熊本県益城町では震度7を記録し壊滅的なダメージを受けた。次に、4月16日午前1時過ぎ、熊本地方を中心に2回目の大地震が発生した。そして、現在もなお1000回を超える余震が続いている。そして、多くの人々が、近くの避難所に避難したり、車中泊を余儀なくされた。

私のふるさとは熊本市である。現在は神奈川県に住んでいるが、母親や親戚は熊本市に居る。幸い大きな怪我などはなかったのであるが、精神的なダメージを受けており、実家や親戚の家は大きく損傷してしまった。

とにかく親や親戚の様子や、実家の損壊などが気になって居ても立っても居られないので、地震からおおよそ一週間後に熊本へ行くことにした。

熊本へ

熊本へは飛行機で行く。熊本便は数日前から開通していたが、一部の便は欠航しているようだ。飛行機はガラガラだった。無理もない。同じ便に自衛隊の人たちが40~50人ほど搭乗してきたのを見て「そうか被災地へ行くのか」と改めて認識した。そろそろ着陸体制になるという時、機内アナウンスが次のように流れた。「熊本空港では、利用できる洗面所に制限がございます。できるだけ機内でお済ませくださいますようご協力下さい」

熊本空港についた。空港ビルの損傷があり、おおよそ施設の半分は立ち入り禁止になっていた。そして、機内アナウンス通りにトイレの利用は制限されていた。

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熊本空港から熊本市内へ

空港から実家へはレンタカーを借りることができた。レンタカー屋さんは1回目に大変な被害があった益城町にあった。実は、熊本空港自体が益城町にあるので、空港そばのレンタカー屋は益城町であることが多いのである。空港でトイレを利用できなかったので、レンタカー屋のトイレを使用しようとしたら、係の人が「少しお待ちください」と言い、近所からバケツに水を汲みトイレのタンクに注いでくれた。思わず「すいません水が出ないのですね」というと「このあたりはまだ断水していますから。。」と申し訳なさそうに返答された。

熊本空港から実家のある熊本市へ向かう途中、たくさんの自衛隊車両とすれ違った。このほか、水道・ガス・電気会社をはじめ、数多くの復興支援車両を何度も目撃した。このようなときは県外からの支援が本当に心強い。支援をいただいた皆さんには心よりに感謝したい。

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実家の様子

実家につくと、叔母が待っていた。実家のほとんどの部屋は、写真のような有様であった。

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実家は、外壁がはがれて歩行者が怪我をする恐れがあったので、大至急修繕を行う必要があることがわかった。家財など散乱しているが、まずは最優先に対処すべきところから着手するしかないようだ。幸い、近所の方が知り合いの工事業者を紹介していただいたので、さっそくお願いする。室内については、とりあえず寝るに必要な場所だけを整理することとし、今後時間をかけて片付けや修繕をしていくこととする。

近所の様子

実家から歩いて数分のところに、水前寺公園があるので様子を見に行くと、その参道にある鳥居が落ちていた。

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水前寺公園入口の灯篭なども倒壊していた。そして、子供のころからの遊び場であった公園の中には入ることができなかった。

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水前寺公園のそばには、明治時代に日本初の共学の学校を作ったジェーンズさんという外国人先生の家、いわゆる「ジェーンズ邸」という文化財があったのだが、そこは、見るも無残に全壊していたので、大きくショックをうけてしまった。もともとのジェーンズ邸はこんなんかんじ

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なお、ジェーンズ邸にあったトイレだけは無事だった。大地震の時はトイレに逃げろというのは本当のようだ。

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水前寺公園から江津湖という湖に注ぐ「藻器堀川」の様子。その川の流れは、震災後も相変わらず綺麗であった。子供のころに親しんだ川の流れがそこにあった。ほんの少しだけ安心することができた。

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続きは後半。 主に、ライフラインや生活の様子について実際に見たり聞いたりしたことを記録する。

ブログの再開

ずっとずっと前だったような気がしますが、技術に関するホームページをやってました。

それから随分時間がたってしまいましたが、ブログという形で自分の身の回りに起こったことや好きなIT技術などについて記録していこうと思います。

週に一回、いや、月に一回くらいしか更新できないかもしれません。とにかく、マイペースで行こうと思います。